sobota, 1 stycznia 2011

松琴亭

桂離宮には好きな建物は松琴亭(Shoukintei)です。松琴亭は桂離宮の庭園の中で、もっとも重要な建物です。松琴亭は、北に正面を向けた建物ですが、その南側半分は後に増築されたものので、複雑な形の屋根となっています。
一の間の正面には一間床の間がつくられています。床の内側の三方の壁は、紺と白の石畳模様の張りつけ壁です。この大胆で斬新な意匠は、三百年以上も前のものとは思われないはどで、桂離宮全体ノデザインのモダンさを象徴するものです。この模様は二の間との境の(ふすま)にも使われています。
松琴亭の前、船着き場に様々な形の石灯籠が置かれています。この灯籠は十字形の織部灯籠(Oribe lantern)がひっそりと立てられています。

一間(いっけん)-ok.180cm
床の間 ( とこのま)- dekoracyjna wnęka
石畳模様(いしだたみもよう)-wzór szachownicy
意匠(いしょう)- design
二の間(にのま)-drugi pokój
襖(ふすま)- przesuwne panele wydzielające przestrzeń
船着き場(ふなつきば)-przystań dla łódek
石灯籠(いしどうろう)-kamienna latarnia
織部灯籠(おりべどうろう)-latarnia Oribe

                     一の間と石畳模様
                                                                       茶室

wtorek, 21 grudnia 2010

桂離宮と月

桂離宮の中に月に関係した装飾について数多く見付けることができます。例えば、新御(Shingoten)一の間には月の字型の引き手があります。それから、同じく一の間には崩しの欄間(らんま)があります。これは月の字を欄間として、抽象的にデザインしたもので、大変現代的な感じがします。     
さらに、月波楼(げっぱろう)には、天皇の筆といわれる,「歌月」と書かれた額があります。
これらの月に関する装飾の数々からも、月と桂離宮の深い関係を感じることができます。

欄間(らんま)-świetlik
引き手(ひきて)-uchwyt przy drzwiach
月波楼 (げっぱろう)-Gepparou ( jeden z pawilonów herbacianych)
新御殿(しんごてん)-Shingoten (jeden z budynków w kompleksie Katsura)

                                          この写真には月を見つけてください:)

                            石灯籠
                            引き手
                         欄間-świetlik
                                                                   月波楼(Gepparou chashitsu)
                                                                     手水鉢

niedziela, 12 grudnia 2010

桂離宮の一代の設計者


最近私は桂離宮について本を読んで、第一の設計「智仁親王」Toshihito Shinnou の知識を得た。



幼名が「胡佐麿」(Kosamaro)といい、その頃の関白豊臣秀吉(Toyotomi Hideyoshi)(には子供がなく、1588年、胡佐麿は秀吉の養子となりました。けれども養子になった後、秀吉の息子が生まれたので,秀吉は、邪魔になった 智仁 のために八条宮家(Hachijounomiya)を新しくつくって、3000石を与えました。

智仁 親王は若い頃から学芸に優れ、絵画、音楽、書道、茶道、華道など当時の遺族の芸能はもちろん,蹴鞠(けまり)、乗場などのスポーツにわたります。そしてついに建築まで設計することになりました。

八条宮家(Hachijounomiya)- family name

niedziela, 21 listopada 2010

桂離宮の歴史

ブログのテーマ桂離宮ですから、はじめに桂離宮の歴史についてかきたいです。桂離宮は桂川の西岸、京都市西京区桂にあります。京都の中心部、京都御所から約十キロメトルの地点です。桂離宮は江戸時代のはじめに八条宮家初代の智仁親王です。そして、智仁親王のつくった別業に手を加えて、現代に近い形に完成させたのは、二代智忠親王でした。
                                                                    桂離宮
桂離宮は八条宮家初代の智仁親王(Toshihito)(1579 - 1629)によって基礎が築かれた。智仁親王は正親町天皇(Ogimachi )の皇孫、後陽成天皇(Gomizuno)の弟に当たる。智仁親王は初め豊臣秀吉(Toyotomi Hideyoshi)の猶子となったが、秀吉(Hidekichi)に実子が生まれたため、八条宮家(桂宮家)を創設したものである。本邸は京都御所の北 側、今出川通りに面して建設され、現存する.   
桂離宮の書院は「古書院」「中書院」「新御殿」の3つの部分に分かれ、このうち古書院の建設は1615年頃と推定される。書院、茶屋、庭園などの造営は、八条宮家2代の智忠親王(Toshitada)(1619 - 1662)に引き継がれ、数十年間をかけて整備された。

智仁親王 -Toshihito Shinnō (Prince Toshito)
正親町天皇 – Ōgimachi Tennō ( Emperor Ōgimachi)
後陽成天皇 – Go-mizunō Tennō ( Emperor Go-mizunō)
豊臣秀吉- Toyotomi Hideyoshi
京都御所-  Tokyo Gosho ( Tokyo Imperial Palace)
秀吉 – Hidekichi (Hidetoshi’s son)
八条宮家 Hachijōnomiya
創設  (そうせつ)found, establish

poniedziałek, 1 listopada 2010

ブログの内容

私はマルツェラで、ワルシャワ日本学科五年生です。私は卒業論文が桂離宮について書いたから、このブログは桂離宮の秘密について書きたいです。私のブログは桂離宮の歴史と建築と庭園としたトピックをちりあげています。