niedziela, 12 grudnia 2010

桂離宮の一代の設計者


最近私は桂離宮について本を読んで、第一の設計「智仁親王」Toshihito Shinnou の知識を得た。



幼名が「胡佐麿」(Kosamaro)といい、その頃の関白豊臣秀吉(Toyotomi Hideyoshi)(には子供がなく、1588年、胡佐麿は秀吉の養子となりました。けれども養子になった後、秀吉の息子が生まれたので,秀吉は、邪魔になった 智仁 のために八条宮家(Hachijounomiya)を新しくつくって、3000石を与えました。

智仁 親王は若い頃から学芸に優れ、絵画、音楽、書道、茶道、華道など当時の遺族の芸能はもちろん,蹴鞠(けまり)、乗場などのスポーツにわたります。そしてついに建築まで設計することになりました。

八条宮家(Hachijounomiya)- family name

2 komentarze:

  1. マルツエラさん、
    智仁親王はたくさん才のある人だったね:)それは設計に印象を与えたと思います。
    智仁親王の第一設計の複写はどこかに見られるかと知ってますか?

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  2. 智仁親王はたくさん日記を残しました。この日記には時々桂離宮の造営について書きました。だから多分桂離宮の設計は彼の日記にありました。
    今は智仁親王の複写の日記は宮内庁にあります。

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